ニセ科学にどう対応すべきか
ニセ科学なる言葉を最近知りました。
リンクを辿ってあちこち見てみたのですが、ニセ科学批判という活動にはいくつか気になる点が。
・新しい言葉が増えることの弊害
ニセ科学とはどういうものか、説明を読めばわかるが、ほとんどの一般人は、厳密な定義に興味はないと思われる。そもそも一般人には《科学っぽい》のか《科学》なのかの区別などつかない。判断がつかないところへ不安だけが煽られると、結局判断を他人に任せるようになる。
http://www.itmedia.co.jp/anchordesk/articles/0702/02/news024.html
>菊池氏に言わせれば、人がニセ科学に魅入られやすいのは、ニセ科学が単純な二分法で複雑な問題に明快に白黒をつけてくれるからだという。
ニセ科学が問題というより、複雑な問題に明快に白黒つけてくれるのが科学だという認識があるから、ニセ科学を見破れず、《科学っぽい》から安心してしまう。つまり一般人は、そもそも科学とは何なのかを知らない。
・いじめ的傾向
結局、一般人が《二分法》的解決を求める状況はかわらず、いよいよ専門家によるニセ科学というお墨付きを期待する人々と、素人による勝手なレッテル貼りが蔓延する可能性がある。科学に対する理解は深まることは無く、科学者の権威だけは高まる。
・生産性が無い
ニセ科学に問題があることは当然としても、具体的な行動としては何ができるのか。レッテル貼りには何も有益なことがないのは明らか。《ニセ科学》という言葉による啓蒙活動と、ネットにおけるいじめ的傾向の増加と、どちらが広がりが早いだろうか。非常に不安である。
・ニセ科学にどう対応すべきか
そもそも啓蒙すべきことは、正しい《科学》とは何か、のほうではないか。であるならば、グレーを黒と断罪するような方向ではなく、グレーを白にするような活動を推進すべきではないか。例えば科学者がグレー企業に対してコンサルタント的な役割をするとか。
・マッドサイエンティストのほうが問題
一般人はサイエンティストに信頼を置いている。だからこそ怖い。これこそ専門家にしかわからないはず。
・結論
ニセ科学の問題は、実は科学への不明確で過剰な信頼が原因ではないか。
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コメント
初めまして。
ニセ科学に関する議論について纏めたwikiがありますので、ご紹介します(既読でしたら申し訳無いです)⇒http://www39.atwiki.jp/cactus2/pages/11.html
ニセ科学とは、科学を装っているものを指しますので、議論するにあたって、まず、科学とは何か、というのを考えていくのは、ある意味当然の事と言えます。
もちろん、「いわゆるレッテル貼り」をする人は、いるでしょう。それは、どんな分野であっても、何かを分類する、という事に付きまとうものだと思います。
ご懸念には尤もな部分も含まれるとは思いますが、かと言って、それが、ニセ科学を批判する人間に共通する特徴である、とは言えませんよね。つまり、こういう弊害が考えられる、という推測から、だからニセ科学批判は有益で無い、とは言えない、という事ですね。
でも、そのようにお書きのようにも読めてしまいました。そこに、若干の違和感を覚えた次第です。
端的に申し上げますと、お書きのような内容については既に、ニセ科学批判者間において、議論が続けられている、という事です。そういう所にも思いを馳せて頂きたいな、と感じます。
投稿: TAKESAN | 2008年2月15日 (金) 22時13分
補足です。
上に書いた事は、弊害などあり得ない、という主張では無くて、有効性とデメリットを共に考えて、なるべく適切な批判を心掛けていく必要がある、という事ですね。つまり、常に自覚して批判に取り組まなければならない、と。
そこはご理解頂きたいです。
投稿: TAKESAN | 2008年2月15日 (金) 22時25分
TKESANさんはじめまして。
コメントありがとうございます。
>ニセ科学とは、科学を装っているものを指しますので、議論するにあたって、まず、科学とは何か、というのを考えていくのは、ある意味当然の事と言えます。
→ニセ科学批判の活動が、一般人にも「科学とは何か」を意識させるものではないといけないと思います。
ニセ科学批判の活動は「科学とは何か」を知らしめるようなプログラムになってますか?というのが主旨のつもりです。
「ニセ科学」という言葉の普及を先行させると、「科学とは何か」よりも「ニセ科学」という悪をつぶせ的な風潮ができるのではないか、そちらの広まり方のほうが早く、強いものになるのではないか、という不安を感じます。
啓蒙する人々にとって当然のことが、一般人には当然でなかったりするわけです。
>もちろん、「いわゆるレッテル貼り」をする人は、いるでしょう。それは、どんな分野であっても、何かを分類する、という事に付きまとうものだと思います。
→そもそもニセ科学という分類が必要なんでしょうか。
分類というのは個別のものを無視する考え方とも言えます。「ニセ科学」という言葉を作るというのは「二分法」の典型ではないですか?
分類すると問題が分かりやすくなるかもしれませんが、そのことによって別の問題が発生する危険のほうが大きいのではないか、というのが主旨です。
>ご懸念には尤もな部分も含まれるとは思いますが、かと言って、それが、ニセ科学を批判する人間に共通する特徴である、とは言えませんよね。
→これは啓蒙活動をしている人々の中にも色々いるという意味ですか?それとも、啓蒙する人と影響を受けて発言する人(一般人)ということですか?
純粋に問題に取り組んでいる人の活動が、かえって期待しない結果を生む可能性があるのではないか、というのが主旨です。
>つまり、こういう弊害が考えられる、という推測から、だからニセ科学批判は有益で無い、とは言えない、という事ですね。でも、そのようにお書きのようにも読めてしまいました。そこに、若干の違和感を覚えた次第です。
→問題を認識するのは有益ですが、「ニセ科学」という言葉によってキャンペーンを展開するとかえって有害かもしれない、不安がある、というのが主旨です。
>端的に申し上げますと、お書きのような内容については既に、ニセ科学批判者間において、議論が続けられている、という事です。そういう所にも思いを馳せて頂きたいな、と感じます。
→真剣に議論されているのだろうと思いますが、「ニセ科学」という言葉が発せられた時点で一般への影響も始まっているわけです。
弱者の側からすると、議論の中身よりも実際の影響が気になるのです。
全部まとめて簡単に言いますと、
「風潮」に対して「風潮」で対抗しようというのはどうなんだろ?ということです。
投稿: 井和 弘 | 2008年2月16日 (土) 08時44分